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2019.09.12
【訃報】稲田 龍氏

稲田龍氏を悼む

WIDEプロジェクトの初期からのメンバーであり、特にPKIの分野でご活躍いただきました稲田龍氏が、2019年9月12日に永眠されました。稲田龍氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。

稲田龍氏は、1984年に慶應義塾大学工学部電気工学科 相磯・所研究室で研究を開始されました。当時所属していたグループが、村井が率いるS&Tnetの構築を担った「ether」という研究グループでした。JUNETの運用開始は1984年からということになりますので、その研究会から発展したWIDEプロジェクトにはまさにはじめから参加していた研究者の一人となります。

初期のWIDEプロジェクトのスポンサーのひとつが富士ゼロックス社で、稲田氏は学部卒業後同社に入社し、当然のように、「WIDE担当」の富士ゼロックス社の研究者として、そしてWIDE自身の研究者として、合宿や研究会などの活動に(多分最も)熱心に参加し続けてきました。

研究者としてはPKI、認証、セキュリティ、moCA、PhoneShellなどWIDEプロジェクトにしては「上位レイヤ」と考えられていた領域を先導する活動に従事されてきました。

一見おとなしそうに見えますが、考え方は筋が通っていて、しかも、冷静で合理的な判断をして、強い発言をしてくれることが何回かありました。WIDEは、当時はめずらしい若手のつっぱり研究者集団でした。その若者集団が富士ゼロックス社をはじめ10社程度の企業を説得し、初期の研究費(ほとんどが回線費)を負担してもらっていました。その時の我々には怖いものはなかったけど、若すぎる故、社会的に難しいことが起こるのではないかという不安は持っていました。この不安はシニアをまぜれば解決する。それでも全く新しい分野なので自分たちだけで、シニアに頼らず、つっぱって進むべきだという強い団結をWIDEボード内部では共有していました。だから、そんな不安は、全く見せないで、スポンサー企業への報告会を行っていました。ある日、スポンサーの立場でボードメンバーによる報告会に参加していた稲田氏は手を挙げて、「リーダーが助手の研究グループに委託研究するのは説明が面倒なので誰かシニアの教授でも据えたらどうでしょう?」と真正面から平場で質問されたことがあります。WIDE創設以来の仲間でボードとスポンサー(を代表する稲田氏)の役割をそれぞれ担って進めていた中で、WIDEの運営理念を確立するための大きなきっかけとなった発言だったことを覚えています。

闘病生活に入っても彼はますます元気で、自分の病気に関しても相変わらずの冷静な分析と戦略をお見舞いに訪れた人に明るく語っていました。これが稲田龍だと誰もが感じています。

同じ研究仲間として35年間、その間に研究者として、そしてWIDEの運営にスポンサー企業として熱心に参加をし、WIDEのコミュニティの中核でい続けてくれた稲田龍氏に心からの敬意と感謝を表し、病から解放された稲田龍氏の新しい旅が安らかであることを願い、お別れの言葉とします。

ご家族、友人の方々の心の痛みを共有させていただき、稲田龍氏のご冥福を心からお祈りいたします。

2019年9月12日
WIDEプロジェクト ファウンダー
慶應義塾大学教授
村井 純