Title: Medicri WGの2010年度活動概要 Author(s): 奥村 貴史 (taka@wide.ad.jp) 前田 貴匡 (g48033@nda.ac.jp) 中河 清博 (gacha@wide.ad.jp) Date: 2010-12-31 * はじめに Medicri (Medical Crisis) WGは、2010年4月より活動している、医療崩壊問題 や災害医療に対する情報技術の寄与について検討するワーキンググループであ る。本WGは、チェア全員が国家公務員というWIDEにおいては特異なWGであり、 行政と民間との橋渡しの視点を重視した活動を特徴としている。 活動初年度である2010年においては、 医療崩壊問題への対応の鍵となる医療従 事者からのフィードバックシステムについて検討を行った。2011年度において も、この課題への取り組みを中心に据えた活動を計画していたが、2011年3月の 東日本大震災により震災への対応が急務となり、結果として災害への対応を中 心とした活動を行う形となった。 震災対応においては、保健医療行政内における情報共有上の課題を受け、「震 災対応にあたる保健医療系行政官のための情報共有実験サイト」を構築し、 WIDEクラウドにおける運用を行った。また、WGの活動テーマである医療崩壊問 題への取り組み、人材育成の試みも継続している。 本稿では、こうしたWG活動について概説し、今年度の活動を総括すると共に、 今後への展望を記す。 * 震災への対応 2011年3月11日の震災においては、M9規模の地震そのものの被害は限局的であっ たが、その後に生じた津波災害と原発事故により、東北3県沿岸部は壊滅的な 被害を受けた。さらに、沿岸部においては、基礎自治体が壊滅的な被害を受け たことで行政組織が機能不全を起こし、災害対応に必要となる被災地の状況が 効率的、効果的に共有できない事態が生じた。被災地医療に関しては、医療機 関への直接被害に加えて、被災を乗り越えた医療機関に対しても、物流の断絶 や患者の集中による2次的影響が生じた。また、福島県においては、原発災害 が加わることで医療従事者の県外移住が生じ、地域における医療体制の応急的 構築と再建に多大な影響を及ぼしている。 こうした事態に対応するための災害用情報システムとして、厚生労働省では、 過去の健康危機管理事例を全国保健所から継続的に収集しデータベース化した H-Crisis (健康危機管理支援ライブラリー)システムを運用している。しかしな がら、このシステムは、健康危機事案が発生した保健所が過去の事例を検索す るためのシステムであり、保健所自体が壊滅的な被害を被ったり、近代以降発 生していない大災害への対応を検索するようなことは出来なかった。また、保 健医療行政における情報リテラシは一般的に低く、未曾有の災害において、効 率的に情報共有と対応を行うことが困難であった。 そこで、Medical Crisis WGにおいては、3月16日に行われた「東北沖地震支援 情報システム・第1回情報交換会」に始まり、4月6日の「被災地の医療状況と 把握のための情報技術について」などのミーティングを重ねた。そうした議論 を経て、ゴールデンウィークに都内での開発合宿を実施し、震災対応にあたる 保健医療系行政を支援するための情報共有システムを運用するインフラである i-Crisis(https://i-crisis.niph.go.jp)を開発した。 このサイトは、震災対応にあたる保健医療行政の効率化に向けて、国立保健医 療科学院の基盤的研究をWGが技術支援する形で構築し、WIDEクラウド上にて継 続して運用している。また、このサイト上において、「ファイル共有サービス」 や「かんたんクラウド」と呼ばれる情報共有ツールを構築し、厚生労働省と地 方自治体の情報共有に実利用されている。i-Crisisは、情報系の研究者が保健 医療行政を効果的に支援するための官学連携プラットフォームであり(図1: scheme-02.gif)、現在、情報系研究者コミュニティーへの浸透を図ると共に、 複数のプロジェクトを進めている。 * Shinsai FaxOCRプロジェクト i-Crisisに関係したプロジェクトの一つとして、Shinsai FaxOCRプロジェクト がある。 保健医療行政においては、市中の医療機関等との情報交換にファックスを用い ることが多く、受け取ったファックスを手作業でExcelに入力するなどのワーク フローが少なくない。保健医療行政においても、学校などの教育機関とのやり 取りにはウェブフォームなどの情報技術を用いる素地があるが、医療機関にお いてはPCやネットワーク環境に制約が多く、また、医療従事者の情報リテラシ 上の問題もあり、今後当分の間はファックスによるやり取りが続くものと考え られる。 しかしながら、保健医療行政と医療機関とのやり取りにこのような非効率があ ることで、たとえば、新型インフルエンザの対応においては、ワクチン需給の 調整などに多大な混乱が生じた。今回の震災においても、被災地以外の医療機 関に対して、行政や、医師会や、職能団体などからさまざまな調査依頼が生じ ており、保健医療分野における情報収集の効率を悪化させていた。 そこで、2009年の新型インフルエンザ対応の際にプロトタイプを開発していた Fax OCRシステムを改良し、誰もが簡単に利用できる形へと改善するとともにオー プンソース化する試みに取り組んだ。現在、Google siteにてプロジェクトホー ムページを開設、Google codeにGitリポジトリを置きつつ、Amazon Web ServiceのクラウドサーバであるEC2上にデモ用のサーバを構築し、研究開発を 進めている。 今後は、マニュアル等を充実させるとともに稼動実績を上げ、Live CD-ROMによ り配布するなど、行政内部での普及に向けた施策を講じていく予定である。ま た、日本全国の医療機関から情報を収集するなどするためには、複数のOCRエン ジンの連携や収集したデータの階層的な集計手法などの検討が求められる。こ れはシステム分野の研究としても興味深いものであることから、WIDE内外の研 究室とも協力をしながら研究開発体制を整えて行きたい。 * 医療崩壊問題への取り組み WGのテーマである医療崩壊問題に関しては、我が国においては保健医療分野に おける権限を行政に集中させてあるために、突き詰めていくといかに医療政策 を改善していくかという点に集約される。この点は、インターネット技術が利 用者や市場によって発展、普及してきた歴史と大きく異なっており、保健医療 分野における情報技術の利用に際しても、権限を有した保健医療行政における 情報政策の意思決定をいかに改善していくかが本質的な課題となる。 しかしながら、現在の保健医療行政における情報政策は、医療と情報の双方を 理解する人材が不足していることからも質が低く、医療の情報化も医療現場に 一方的な負担が押し付けられる形での施策となりがちであった。そこで、本WG では、医療従事者からのフィードバックを効率的に収集し、医療を支える現場 の医療従事者の視点や意見を医療の情報化政策に適切に反映させるための仕組 みの検討を進めてきた。 今年度は、来るべきフィードバックシステムのプロトタイプ構築と後進的な保 健医療行政における情報技術利用の水準向上に向けて、国立保健医療科学院に WIDEクラウドの拠点を構築した。また、i-Crisisの構築運用において、WGとし て技術支援と運用を行ってきた。これらの試みは、平成21年の新型インフルエ ンザ対応におけるi-NESIDシステム、平成22年度の厚労科研費シンポジウム、 i-grants (厚生労働科学研究費研究成果データベース)におけるWIDEの技術支援 の貢献を受けたものであり、我々は、保健医療行政における実績を着実に積み 重ねていると言える。 今後は、科学院クラウドにおけるi-crisis、i-grantsの運用に加え、「かんた んクラウド」、「Shinsa FaxOCRシステム」等の研究開発を進めていくことで、 保健医療行政の効率化を通じた我が国の保健医療への貢献を果たすと共に、 「フィードバックシステム」の試験運用による我が国の医療系情報政策への貢 献を果たして行きたい。 * 人材教育 [#p6891cfc] 以上のように保健医療にける情報化政策の水準向上を図っていく上では、情報 系分野の人材に対しても医学や医療の知識を提供し、人材育成を図ることが欠 かせない。そこで、2009年5月のWIDE研究会より、「情報系学生のための医学概 論」として、情報系学生、研究者の医学知識向上に向けた講義を継続的に実施 している。 今年度は、「情報系学生のための患者シミュレータ」「情報系学生のための放 射線医学」「情報系学生のための2次救急」の講義を行い、年度内にもう一回の 講義を予定している。また、保健医療系と情報系の融合分野に関する水準向上 に向けて、慶応義塾大学理工学部における講義や情報処理学会プログラミング シンポジウムにおける招待講演など、WIDEの枠組みを超えた人材育成と情報提 供を行っている。 ただし、この試みは小規模なパイロットスタディであり、実効性を持たせるた めにはより組織的な人材教育に繋げていく必要がある。そこで、現在、合宿と 研究会における講義を継続しつつ、この講義を発展させた形で、WIDE内部で情 報技術の医療応用にとりわけ興味を有している方々を対象とした定期的なセミ ナーの開催に向けた企画を準備している。 このセミナーにおいては、具体的な医療用情報技術から、保健医療分野の情報 政策、分野の最新動向など、保健医療分野の望ましい情報化を通じた医療崩壊 の回避に向け、幅広いテーマを扱う予定である。 * おわりに Medical Crisis WGでは、情報技術の医療崩壊問題や災害医療に対する貢献につ いて検討を進め、本稿において記したように保健医療行政内部における活動実 績を着実に積み重ねて来た。しかしながら、活動を通じていくつかの課題が顕 在化していることも確かである。 まず、研究活動を支える予算的な基盤が安定しておらず、WGの目標に向け継続 的に活動を積み重ねていくことが出来ていない。行政は、保健医療の改善に向 けた情報技術への継続的な研究投資の重要性を理解していないために、研究予 算もそれぞれの年度による予算編成方針や政策的な優先順位に大きく左右され る。 また、研究活動の遂行という点では、予算的な問題に加え、人材の欠如からく る制約が大きい。この問題は、WGのコアメンバーが大学所属でないことから、 講義や研究室等において継続的にモチベーションの高い新たなメンバーのリク ルートを行うことが困難であることに起因すると考えられる。 これらの問題は、我々の活動がより多くの成果に結実し、社会やWIDE内部での 認知が改善されることにより解決されうるが、基本的には「にわとりと卵」問 題である。したがって、誰かがリスクやコストを負うことにより負の連鎖を断 ち切る必要がある。我々の保健医療行政における活動は着実に成果を挙げてい るために、今後も堅実に現在の活動を続けることでこれらの悪循環を断ち切り、 我が国の医療状況の改善に貢献したい。